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うつ状態に陥った時期
結婚当時
私は、同じ年に入庁し、入庁から5年目に結婚しました。
夫は、優秀な成績で入庁しました。入庁時、新規採用職員を代表して、宣誓書を読みました。
これは、その年、一番の成績で入庁した人が選ばれるといわれていました。
そういう、選ばれた存在であった夫は、周りの期待も大きく、異動する先も、選ばれた職場でした。
最初の職場(H1-4)
ここは、出先機関でしたが、その当時は、みんなが外で基本的なことを学んで本庁に戻るというスタイルがとられていました。ここで4年勤めました。
同じ職場に遅れて配属された私は、優秀と言われていた夫と出会いました。
そして、異動のタイミングで結婚することにしました。
2か所目の職場(H5-8)
ここは、本庁でも大きい部局の主管課でした。
そこで予算担当の仕事を任されていました。
ここは、忙しい時期になると、午前2時まで仕事して、朝は通常に出勤するという毎日でした。
午前2時というのは、仕事が終わったということではなく、そこで切り上げなければ、徹夜になってしまうということです。
午前2時に公共交通機関があるはずもなく、私が迎えに行っていました。
私の職場は、その当時、女性は22時までしか超過勤務命令ができない職場でした。そのため、22時まで仕事して、家に帰り、夕食を作り、入浴し、少し仮眠して迎えに行くという毎日でした。
今から考えると、若いからできたことです。
3か所目の職場(H9-12)
ここは、その当時大プロジェクトを抱えた職場でした。前職場から部長、課長、夫と異動していきました。つまり、選ばれて異動になったということです。
時限のある大プロジェクトは、問題なく達成することができました。
出先機関との連携が必要な職場でしたので、自家用車でよく往復していました。この当時は、月に500キロを超えて運転することは認められていませんでしたので、その距離に到達すると、代わって誰かが運転していました。
職員の負担を考えるといい運用でしたが、今はそういった基準はありません。
一度は21時に仕事が終わり、ガソリンがないことに気が付いた夫から連絡があったこともありました。そこから帰ってくるのに3時間ほどかかる距離からでした。
田舎だったため、その時間に開いているガソリンスタンドがないということでした。
上司に連絡して、泊りの許可をもらうのは嫌だというので、帰ってくるように言いました。
彼の生まれ故郷だったので、幼馴染の家に行き、ガソリンを分けてもらったそうです。
4か所目の職場(H13-13.11)
そして、とうとう、うつ状態を発症した職場に異動になりました。
ここは、本庁でも1、2位を争う忙しい職場でした。
毎日最終で帰っていては仕事にならないため、この当時は、車で通勤していました。
それまでの職場で、8年ほどは多忙な職場で免疫はついていたのでしょうが、彼はここでつぶれてしまいました。
周りからは優秀で1年目から、そつなく仕事をこなすと認識されていたようです。
年下の課長からもかわいがられ、問題なく出世が異動を歩いているようでした。
課長は国から出向してきたキャリアでした。
夫が感じた異変
手のひらに汗をかく
夜何度も目が覚める
朝起きるのがつらい
好きなことでも意欲が出ない
何度も同じことを確認しないと気が済まない
そういったことがあると、早めに病院にかかるのがいいのかもしれません。